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企業スポンサー撤退が止まらない |
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(スポーツジャーナリスト) |
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二十一世紀アート世界一周 「社会を彫刻する市民活動」 畑泰彦 |
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ひるがえって、日本はというと、まだ社会は現代アートに近づくのためらっているようにも思える。それでもアートの方から社会に近づく実験がなされている成功例がある。それが「大地の祭典、越後妻有アート・トリエンナーレ」だ。 北川さんが世界中から引っぱってきたジェームズ・タレルなど、高質のアーチストたちの作品は、日本の作家たちにも良い影響を与え、良質の作家と作品を育んでいる例が多く見られる。 展覧会のガイドブックを見ながら、美しい妻有地方を車でゆったりとまわる。木々の間から見える棚田、そして新潟らしい茅葺きや瓦葺きの民家がぽつぽつと現れる。その中のいくつかが、目ざす作家のギャラリーだ。残したい、美しい日本民家が修理強化されギャラリーとしてこのまま保存される。いつまでも、そうあってと願う。 この企画の民家の修理には現代の棟梁である田中文男氏が関わっている。彼の木造民家を愛する気持ちが伝わってくる。関東の都市部では木造の家屋は特別な建物でなければ、まちがいなく壊され鉄とコンクリートに替えられ高くそびえる。築地で働いていた私は、そういう風景を見て何度ため息をついたことだろう。土地がお金と化した時代の凄まじさはいかんともしがたい。それこそ政権交代でモノの価値観が変わってほしいものだ。 あちらこちらと旅行をしていると、その地域の家屋の造りにそれぞれの文化の特徴が表れている。それぞれに、長く持ちこたえてほしいと思いながら歩いているのだが、何年ぶりかで訪れると、もうその家はなくなっていたりする。新手のプレハブに変わっていたり、コンクリートの建造物に変わっていたりする。 話を妻有にもどそう。この地域に約370もの作品が、天に、地に、人家にある。 この妻有ビエンナーレには、初期から、こへび隊というアートサポート学生ボランティアがあり、彼らと住民との間でつちかわれていた信用が生きて、2004年の中越大震災では、北川さん以下、こへび隊たちが集落を訪ねて、崩落した家のかたづけ、清掃、話し相手など家の中に入って、お手伝いができたという。社会に巣立った、こへび隊は、おおへび、ドクヘビとして外国人はコブラとかいって何かがあると、かけつけるという。 廃校を美術館にしたものでは、ボルタンスキーの学校丸ごとの大規模な作品が有名だが、今回は十日町、鉢集落にある絵本作家の田島征三の「絵本と木の実の美術館」を訪ねた。 建物を壊すというのは記憶を壊すことイコールだと思う。だから、この集落の住民は、あと何年かで取り壊される運命に立ち上がったのだと思う。田島征三のホームページの住民の写真からは、廃校を美術館にする喜びが伝わってくる。そこにある作品は、最後の在校生3人が楽しく元気にあばれまわるのを各教室を使って絵本の世界のように、巨大でカラフルに表現している。 地方の活性化と言われているが、その地域の人たちだけでは活性化は生まれない。 |
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スポーツの人間的価値を語れ |
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(スポーツジャーナリスト) |
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二十一世紀アート世界一周 「アール・ブリュット、ジャン・デュビュッフェそしてコブラ」=その3 中津川浩章 |
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このパラドックスはいまだに謎だ。 私が長く関わっている障害者のアートを専門に活動している施設「工房集」(以下「集」)に、斉藤裕一というドローイングの作品をつくるアーティストがいる。滋賀近代美術館や水戸芸術館での展覧会に出品したり、アメリカなどで展覧会を開いていて評価もされてきている。前に、サイ・トゥオンブリについて書いた時にも、彼の作品については紹介したことがあるのだが、そこをもう少し掘り下げてみたいと思う。 斉藤裕一は、サイ・トゥオンブリの作品を知らないだろうから、影響を受けたとは考えにくいのだが、とてもよく似ている。サイ・トゥオンブリの場合はプロのアーティストなので、社会にかかわる上での「歴史観」や「戦略」のようなものに基づきながら、自らのスタイルを構築していくこともあっただろうが、斉藤の場合はそのような「知の遠近法」は持ち合わせていないと考えるのが自然だろう。 しかしながら両者の、その文字を、引っかくような繊細なタッチで繰り返し描き、詩的な空間を作り出していくスタイルに、明らかな共通性を感じるのは私ばかりではないだろう(それは描くことの根源性に対する「信頼感」や「こだわり」に深く関係しているように思える)。コンセプトから組み立てられたスタイルではなく、思考や身体の内在する経路を経たときに、どんな人間にも内在する感覚を取り出してきて形にしようとするスタイル――私には、両者に共通する「スタイル」の奥に、それが感じられてならないのだ。 描きたい、引っかきたい、何かを外に出したい、叫びたい、そういったプリミティブな初期衝動的な欲求がまず存在し、その感覚を具体的な「描く」という行為を通じて、目に見えるものへと外在化させていこうとする手法。それは、作者の個人的な思いというよりは、もっと深く広い、個人を超えた、人間が普遍的にもつ「何か」を表現しようとする力強いエネルギーに支えられているのではないか―。 その行為においてアーティストは、その「何か」を繋ぐ媒体になるのではないか、なろうとするのではないか。表現として、アートの世界の中で、作品として成立するかどうかわからないまま、噴出されるプリミティブな初期衝動は、自己表現を超えた内在的な宇宙を描き出していこうとする―。 執拗に文字をガンガン反復し描き続けることで、言語本来の意味が窯変していき、隠されていた呪術性が浮かび上がる。その行為はアートというよりは、祈りにも近いものへと浮揚していく感覚だ。刻まれた文字・言語が、単に日常的な情報のやり取りだけのコミュニケーションを超えて、より深化した呪術的な意味や深さを伴いながら、別のコミュニケーション媒体へと変わっていこうとする。 「集」のアーティスト西川泰弘とアボリジニのアーティストであるエミリー・ウングワレーに同じことが当てはまるように思う。西川も斉藤同様、エミリー・ウングワレーのことを知らない。だが、同じようなコスモロジーを感じさせてやまない。これも、その世界は、アートというよりも呪術と呼んだ方がふさわしい。 私の周囲だけ見回しても、こういったアーティストが何人もいるのだから、多分同じような事象は探せばたくさんあるのだろう。美術史は時系列に沿って作品や作家の価値を整理して体系化しようとするが、作品を生み出すすべての要素は人間そのもののなかに内在している。ものをつくる際に、こうしたいああしたいという目論見よりも、「何かわけがわからないけれども、作っていって楽しく、快楽に導かれるままにつくっていったらこんな感じになった」「意味があるかどうかはわからないし、そもそも意味がないかもしれない」。そうした行為にリアィティを感じ、その感覚の中に没入すること―。 客観的な知性をもってすれば、それをしたところで意味などないと感じることや、また行き止まりに突き当たっているのに、それに躊躇することなしにドンドン進んでいった結果、見えてくるもの―。優れたアール・ブリュットのアーティストたちは、そんな「ドライブ感」を共通して発散している。意味などないと思われるような行為を続け、繰り返すことが、まだ見ぬ未来の真の意味を掘り起こし、生み出してしまう。 それは私たちが、何らかの理由で自分達に都合よく変形したり、意味(既にわかっている言説)に還元することであるフィルターをつくり、結果として、社会に適合していく。意識的か無意識でなのかは別にして、演出したり、組み立て着地点を考えることなく、普通の意味で社会的に生きるという姿勢から飛び出して、つまり「意味」や「解釈」のフィルターなしに、直接感じた世界を、生のままに直接表現するのが、アール・ブリュットといえる。そこにみられる「等身大の精一杯」は、強い。 私が日本のアール・ブリュットに興味を抱いたのは、まだ銀座にあったギャラリィKで「アートアンドデイケア」展にかかわったのが最初だった。その準備のために、精神科や保健所で、鬱病や統合失調症の人たちとボックスアートを作るサポートしたのがきっかけだった。これは貴重な体験だった。その後も、エイブルアート(旧名・障害者芸術協会)の展覧会を手伝ったり、コンペの選考委員を務めたりした流れで、川口太陽の家・工房「集」の設立に参加した。「集」のキュレーションを務めながら、障害者関係の様々なワークショップを実施してきた。 日本のアール・ブリュットのアーティスト達は、発見されたり、制作している場所が、福祉の作業所が多い。そのため、アートと福祉の線引きが曖昧だ。アートの定義がはっきりしている欧米に較べ、日本ではまだアートは文物としてしか成立していないのが現実だと思う。社会の成立基盤が異なるのに、欧米の概念をそのまま輸入しても、日本の現実とうまく対応するはずもないが、これは「民主主義」とか「市民社会」という言葉の定義同様、アートだけに限った問題ではないのは周知のとおりだが、そこにまた面白いところもあることも事実だ。 自分たちの現実からアートを作っていくという喜び、そしてその必要性だ。これはアール・ブリュットだけでなく、アート全般を考えても同じかもしれない。ただ、アール・ブリュットに関して、一般のキュレーターはアートと福祉とを無理やり分別しカテゴライズしようとする流れがある。そのため、きれいな上澄みだけを掬い取ることになってしまうことが多くなる。 福祉とアートは別ものであることはもちろんだが、福祉の現場でアートが生まれている事実は無視できない。改正(改悪)された障害者自立支援法など日本の現実的な問題が、そこに様々に関係してくる。アートと福祉だけでなく、アートと教育の関係にも同様の問題が潜んでいる気がしている。 「集の仲間たち」(「集」では障害者の人たちをこう呼んでいる)と過ごす時間の流れは特別だ。そのたおやかな時間の中にいると、彼らの創造の秘密に少し触れたような気がしてくる。ゆっくりとした時間が流れていき、みなめいめい勝手に何か作業している。まったく制作しないで一日中ボーっとしている仲間もいる。窓にはカーテンをつけず周囲の風景をいつも感じられるようになっていて、外からも中が丸見えだ。 時間も空間も「開かれた」感覚が、創造に影響を与えていることは間違いないだろう。そんな現場の空気感を直接つくりあげたのは、福祉の現場にいるスタッフたちだ。アート畑にはいないスタッフたちが、仲間たちがいかにしあわせな時間を過ごすことができるかと試行錯誤し、「集」に開放的な空気感をもたらしている。その現実からみると、福祉とアートをきっちり線引きすることはアートだけを定義するにはすっきりしていいのだが、その半面で、福祉とアートの線引きは、新しい価値観を提案したり、様々な事象が相互に深く関係する現実や今後の可能性を見えなくしてしまう気がする。 ジャン・デュビュッフェが提唱したアール・ブリュットだが、その時代の他のアートとまったく無関係だった訳ではない。たとえばアンドレ・ブルトンが運動化したシュルリアリズムは、一般的なイメージだと幻想的なアートとして捉えられがちなのだが、ブルトンが志向していたものは彼の著作である「魔術的芸術」を読むとちょっと違うことに気がつく。 幻想的なイメージはどちらかというとは入り口に過ぎず、呪術的なものがいかにアートの中に入り込んでいるかというビジョンで書かれている。多くのプリミティブアートについてや、素朴派のアンリ・ルソー、後期印象派のP・ゴーギャンについても触れている。また、魔術や狂人、理性の眠り、不条理性など、アール・ブリュットとも関係してくるキーワードがいくつも登場する。 シュルリアリズムはフロイト精神分析の影響にあったため精神異常や狂気の問題にコミットし、まさしく現実を超えるリアルなもの、理性を超えるものとして狂気を捕え、それらの芸術をシュルリアリズムとして解釈し定義した。ブルトンの小説「ナジャ」はまるで統合失調症の患者が書いた手記のようだ。 さらにロデスの精神病院でおびただしいデッサンを残したアントナン・アルトーは、シュルリアリズムの詩人でもあった。また、シュルリアリズムから影響を受け、奇妙な写真と油彩・水彩画を残したヴォルスは、ジャン・デュビュッフェと同じアンフォルメル(不定形の絵画)運動の画家とみなされていた。 そのようにアール・ブリュットはシュルリアリズムと深い関係がある、というよりも地続き・グラデーションと考えたほうがいいと感じている。 そして「コブラ」はかつてそのようなアンフォルメル絵画の北欧版と紹介されていたのだ。 「コブラ」はコペンハーゲン・ブリュッセル・アムステルダムの頭文字をつなげて作った名称だ。1948年に結成され、代表的なアーティストはアスガー・ヨルン、P・アレシンスキー、コンスタン、アペル、ドートルモンなど。特異なのは、シュルリアリズム運動から影響を受けたこともあるが、詩人と美術家が絵や詩を共に制作し、社会運動として芸術運動を展開したことだ。 当時のことなので、当然メンバーは共産党に入っていた。また無意識や夢を説明的なイメージで表現するのではなく、激しいブラッシュ・ストロークや鮮やかな色彩や強い物質感など、シュルリアリズムより直接的で身体性が強い喚起力のある祝祭的な作品を提唱した。またその根源的なスタイルはアール・ブリュットとも共通する。以前紹介したシュルリアリズムから影響を受けた同時期のアメリカ人画家J・ポロックや抽象表現主義に近いところがある。 ただ異なっているのは、子どもの絵ややはり精神病の人間の絵画、キリスト教文化以前のケルト文化などのプリミティブアートや民族芸術に影響を受けたことからわかるように、純粋抽象ではなくあえて具体性をその中心に据え、あくまで人間の問題として捉えた点が異なる。これはそのまま当時のアメリカとヨーロッパの相違点と相似形をなしている。 また、北欧というヨーロッパの中心ではない地域で「コブラ」が生まれたことはマージナルな視線が存在していたのだろう。 マージナルな視線との関連でいうと、アレシンスキーは1958年に来日し「日本の書」という映画を撮影し、またその著作「自在の輪」の中で仙崖や白隠について多く語っている。彼の作品も書に影響を受けた独自のタッチの絵画だ。 「コブラ」は、理由はわからないがわずか3年で解散している。 以前こんななことを書いたことがある。――このまま情報化が進み、資源の有限性が認識されていくと、イメージとしての世界は密室化し、ますます縮小し続けるだろう。現代のアメリカは他者が存在しない世界から他者の存在を意識する世界への転換が必要になるだろう。 J・ポロックが代表する現代美術が、アメリカの抽象性・物質性の始まりをつくった。それはアメリカ式グローバリズムの考え方とシンクロし、確かに一時代を作り上げた。現代アートの方向は、いまだにその抽象性・物質性のグローバリズムの延長戦上にある。さらに様々なジャンルと交わり、メタ建築・メタデザイン・メタイラストレーション・メタメディアとなって、アートというジャンルの可能性拡がりを模索し、それらはすべて水平軸に拡がっていくこととなっている。 そうした状況の中だからこそ、アール・ブリュットは新たな、そして切実な意味をもつように思う。アール・ブリュットは、行き止まりの道を進む人間そのものを肯定する。希望がなくても絶望しないこと、新しくはないが決して古くはならないことを思考すること。つまりジャンルの横断といった単純な可能性ではなく、人間の全体性、不合理性に立脚した可能性を考えることだ。それは人間の垂直軸に対するアプローチとも関わってくるだろうし、信仰なき時代、そして世界の周辺を生きていかざる得ない日本人にとっても重要なことだろう。 アール・ブリュットもコブラも人間性への信頼が存在する。それは不完全な世界をあえて肯定していく感覚だ。冒頭に書いた世界との一体感は、そんな感覚からやってきているのではないかと思う。 *これで、3回続いたアール・ブリュットについては終了です。書いてみると、まだまだ書き足りないことがたくさんあることに気がつきましたが、他の論評の際に関係付けていけたらいいなと感じています。
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努力規定より「権利」と定めよ |
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しかし、国民のスポーツする権利を明記したスポーツ基本法の制定は緊急課題である。 「スポーツは基本的権利」を宣言したユネスコの体育・スポーツ国際憲章に基づき、欧州など多くの国々では多様な国民スポーツ振興施策が実施され、オリンピック憲章もスポーツ権を明言している。日本は基本理念を無視してオリンピックを追い求めてきた。スポーツ権を確立する基本法制定なくしては、日本は世界の孤児であり続ける。 自民党がゆがんだ基本法案に動くと、日本オリンピック委員会や日本体育協会は迎合したが、広く議論はしない。マスメディアもまた、ほとんど関心を示さない。行政の大幅後退に沈黙を決め込むのと同様である。 あらゆるスポーツ関係者がスポーツ権を明確にして、日本スポーツの現状を厳しく見つめ直し基本法論議を深める必要がある。スポーツマスメディアには論議を提起する材料提示の使命がある。メダル争いばかり煽っても、足元が崩れては取り返しがつかない。 (スポーツジャーナリスト) (JCJ機関紙「ジャーナリスト」2009年7月25日号より) |
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二十一世紀アート世界一周 古川美佳 |
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牧野沖縄県立美術館長によれば、「沖縄の教育施設であり、公正中立なものを扱うなどの観点から総合的に見て適切ではない」というのが展示拒否の理由だ。だが教育や中立を口実とした展覧会への介入は、明らかに違法・不当な権力の行使であり、検閲である。 08年にNYと東京で開催され、沖縄で三度目の巡回展となった今回の「アトミックサンシャイン展」の趣旨は、企画したキュレーター渡辺真也氏によると、「戦後の国民・国家形成の根幹を担った平和憲法と、それに反応した日本の戦後美術を検証する試み」だという。ならば戦後日本の縮図である沖縄での展覧会で、天皇を扱った作品を排除してまでも開催したその企画の意味も一方で問われざるをえない。 今回展示を中止された「遠近を抱えて」は、1986年に富山県立近代美術館で展示・購入された中、昭和天皇の写真をコラージュしていることから、県議会と右翼の攻撃によって非公開とされ、その後作品売却、図録焼却された経緯がある。 それがなぜ再び沖縄で排除されたのだろうか。第九条と第一条〜八条「天皇条項」との両立には、戦後沖縄の分割及び基地化が影絵として横たわっている。ここ数年の沖縄戦をめぐる歴史認識のねじれや、アジアの過去史清算などの葛藤が、九条によって平和偽装されたかのような日本の歩みの中で、いまさらのように沖縄という場で露呈したともいえる。 英国の作家・E.Mフォースターは、ナチスドイツの時代に「表現者本人の気持ちの自由」、「自分の気持ちをほかの人間に伝えられる自由」、「一般市民の見る自由(発信を受信する自由)」を強調していた。今回の検閲事件は一見自由を謳歌している私たちに、こうした基本的人権の要となる自由の危うさを見せつけている。 日本人は象徴天皇制の呪縛から気持ちの上でも解き放たれず、この種の「目隠し」に見てみぬふりをし続けるのだろうか。実際、この事件は沖縄では新聞の一面で大きく報道されたというのに、県外ではほとんどとりあげられていない。既に大浦氏と支援者が260余名の抗議署名を集め、館長に面会したが、同じ返答ばかりだったという。そこでこの「ねじまげられた自由」を封じ込めずに抗議の声をあげていこうと、美術家や表現者有志が「緊急アートアクション」を計画中だという(7月20日〜8月1日東京GALLERY MAKI)。国家制度上身動きがとれない表現の現状について、いま一度共に考え行動していくべきではないだろうか。 (韓国文化研究/JCJ広告支部会員) *抗議声明、緊急アートアクションの詳細は、こちらへ。 ■この問題を徹底討論!会場からの声も大歓迎、シンポジウムにぜひご参加を! <シンポジウム>「アトミックサンシャイン」沖縄展の検閲に抗議する! |
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南アW杯――途上国発展の夢と熱気を |
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マンデラ黒人政権が発足して1年後の1995年、南アはラグビーの第3回W 杯を開催し、初優勝を飾った。巨大な黒人貧困層を抱え格差が極端に広がる中で、大会は人種融合をアピールする政治的色彩が濃かった。世界に誇る白人スポーツでようやく国際舞台に復帰し、世界の頂点に立ったのだから白人の喜びようはすさまじかった。しかしほとんどの黒人は蚊帳の外。それでも国による黒人 居住区のスポーツ施設整備や普及指導は始まっていた。 約1カ月間の取材滞在だったが、極度の治安悪化で犯罪防止を理由に宿舎に「軟禁」状態に置かれた。宿舎と競技場など関連施設をタクシ―などで点から点へと移動するありさまだったが、ヨハネスブルクの黒人居住区ソウェトで目にした少年たちが忘れられない。バラック小屋脇のデコボコ道を走り回り、泥だらけのパンツ一枚に裸足で砂ぼこりをあげながら、サッカーボールを追う姿に、たくましさと未来への息吹きを感じた。サッカー選手の夢を語る目が輝いていた。サッカーこそ国民スポーツだった。 15年後、夢に見た最高の舞台を迎える。環境改善がなかなか進まないのは事実だろう。貧困による治安の悪さも悩みには違いない。しかし主人公としてスポーツを楽しむ体験が社会生活に変化をもたらしていないか。世界最大のスポー ツ祭典が初めてアフリカで開催される世界史的意義やアフリカ・スポーツの発展は。この1年、南アを中心にアフリカ・スポーツの実態を見つめながら途上国の夢と熱気を伝える報道を期待したい。 (スポーツジャーナリスト) (JCJ機関紙「ジャーナリスト」2009年6月25日号より) |
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二十一世紀アート世界一周 大川 祐 |
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草間彌生には強いメディアのイメージがつきまとう。ドット、ファッショナブルなセンス、強迫観念、幼少からの幻覚体験、特異な彼女のキャラクター。最近では携帯電話のイメージキャラクターが思い浮かぶ。しかし、彼女の作品を目の前にした時それが全部吹き飛んでしまった。 会場には初期の頃の作品から網目の作品、ソフトスカルプチャー、ドットのかぼちゃの絵画など所謂草間彌生らしい作品で占められていた。「Nets Obsession」と題されたグアッシュで描かれた網目の小作品の前で私の思考が回りだした。面白い。緑色の背景にピンク色の対象物らしきものが見えるが対象物も背景も同様の網目模様に覆われているため対象物への意識がぼやける。 だがピンク色の対象物らしきものは、網目が中心から外へ向かっているため、何らかの立体感を覚え実体感も伴うので知覚が矛盾する。また画面一杯にピンク色の何かが描かれているので、私の中にある地から図が認識される知覚が鈍らされ、物の輪郭の意識がぼやけ、全てが無限の中にあるように感じられる。無限の概念は彼女の中心的なテーマであるが、我々が「イメージ」として持っている無限と、実際に身体を通して無限を生きている草間彌生の世界観とは雲泥の差があるような気がする。 私は自分の持っている観念的な無限のイメージを壊しながら、草間彌生が感じている無限感を作品に向かい合いながら全身で感じようとしていた。 でも私は、少しだけ頭を使って彼女がこれらの作品をどこから描いたり作ったりしているのだろうと考えながら、作品を見て行った。理由は無限を生きている彼女が、有限である美術作品をどう捉えているかという疑問からだった。 西洋の美術史は目の前の対象を認識し、分析し、批判して、新しい美術作品を創造してきた。いわば有限の世界である。絵画、彫刻、インスタレーションなどのジャンルも対象の認識からくるものである。ゆえに美術史というものが成り立つのだし美術作品の位置というか場所というものがある。もっとも草間彌生の作品も当時の美術の流れの中で出て来たものであることは確かだが、彼女の身体感覚が無限を前提にしているがゆえに支持体と絵の具の関係やイメージの認識がまったく違う方角からやって来る。 網目の作品などはぱっと見た感じはモノクロームでミニマルなイメージがあるが、還元的ではなく観念的でもない。先ほどの、有限である美術作品を、草間彌生がどう捉えているかという疑問だが、絵画作品から見ていくと無限にも様々なバリエーションがあることが分かる。また有限としてのキャンバスをどのくらいの距離から見るのかによって、無限が我々に作用するその仕方も異なってくる。 2005年に制作された「INFINITY-NETS(TWZO)」はある距離から捉えると草間彌生の身体が呼び出され、無限に拮抗する一回一回の彼女の手の運動がこちらに伝わってくる。また1998年に制作された「INFINITY-NETS」と題された網目の作品は、イエローオーカーの下地の上に、メディウムで盛り上げた下地と同色の網目が画面を覆っている。近くで見ると有限であるはずのメディウムの物質性が無限の相を帯びてくる不思議な感覚に襲われる。 当時の美術はキャンバスの著しい物質化が進んだ時代であり、絵画のイリュージョン性を否定し、キャンバスが現実空間と積極的に関係を持とうとした時でもあった。その中で彼女の仕事は特異であり、絵画をどこから描くかという命題に対し無限の概念を提示した草間彌生の作品は絵画の持っている矩形の制約をも軽々と超えてしまっている。
1980年に制作された「手のアキュミレーション Accumulation of Hands」(アキュミレーションは集積の意味)は、二人掛けのソファに中身の詰まった軍手が無数に突き出ており、所々に果物の模型がくっついていて、その全てがシルバーに塗られている。シルバーに塗られることにより日常が非日常化される。私は先に、草間彌生は無限の「イメージ」を表現しているのではなくて、無限を生きているのだと書いた。私はここで日常的なオブジェを見ることによって彼女の生きている感覚をこのソファで実感した。これが石や木や鉄などで彫刻されていたらまた違っていただろう。 ソファの隣に、パスタで覆われたマネキン(マカロニガール Maccaroni Girl 1999)がやはりシルバーで塗られているのであるが日常が無限化することによる開放感がそれらのシルバーのオブジェたちからほとばしっていた。シルバーという色が日常のオブジェを変容させるのに役立っている。 我々はフラクタル理論などから、自然が持っているミクロからマクロへの物質の構造から無限のイメージを知っている。また青い空を見ながら無限を感じたり、無限の宇宙に思いを馳せたりするだろう。しかしあくまでも自然を対象として「認識」した場合に限ってしまう。 だが、草間彌生の作品を目の前にする無限とはいったい何なのだろうか。彼女は自身が抱えている強迫観念をいわば世界に突返すという形を採って世界を生きている。しかし、これは彼女だけの問題だろうか。私は人間のはかない有限の一生という時間とパラレルに無限の時間が横たわっているのではないかという気がしてならない。「永遠のいま」という言葉があるが、自分がいまここにいることに意識を集中していくと、時間と空間の観念がぐにゃりと曲がり、次元の感覚が消え去りそうになり、無限の感覚に襲われることがあるだろう。 草間彌生の無限はそうした静寂の中から生まれるものではないが、彼女の作品を見ていくと我々は、普段は分からないが実は無限の中を生きているのではないだろうかという思いに駆られるのである。でも、実際無限を生きることへの一抹の不安は頭をかすめるのであるが。 高橋コレクション日比谷 〒100-0006 東京都千代田区有楽町1-1-2 日比谷三井ビルデイング1階 TEL:03-6206-1890 http://www.takahashi-collection.com
会期 2009年4月25日(土)〜7月26日(日)(月休み) |
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新型インフルエンザ 冷静さ欠く日本の行政とメディア
「医療崩壊」の現状で困難な対応 |
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しかし、わが国では舛添要一厚生労働大臣のメディアへの露出が目立つ一方、「封じ込め対策から早く政策転換すべきだ」と内外から批判が出るなど問題点が明るみに出てきた。 日本では諸外国では行われない「機内検疫」を実施。新型を疑われた例を舛添大臣自ら次々に発表するなど極めて異例の対応を取った。WHO(世界保健機関)は、検疫に感染症の拡がりを減らす効果は認められない、との見解を5月7日にあらためて発し、国際交通に影響を及ぼす方策を採る国は、その理由と証拠を提出するよう求めた。 厚労省の膨大な情報発信もあり、過剰反応も相次いだ。教育委員会の中には、生徒や家族がメキシコや米国、韓国を訪問した場合は、帰国後10日間、学校を休ませるなどの例が続出。日本初の感染者が出た高校には「なぜ旅行先でマスクをしなかったのか」など批判の電話や手紙が殺到した。米国、カナダなどでは「マスクは効果が薄い」が常識であり、過信はかえって危険なのだ。 アジア各国では冷静な対策が取られた。香港では、発熱や渡航先などを調べる質問票を基に検疫官からの質問はあったが、予防法を記した文書が配られ早期治療をPRする放送が繰り返されたほか、手洗いや洗口器具が特設された。韓国やタイ、スリランカ、UAEでは通常と同様の対応で、トップニュースなどでの報道はされたが、日本のように通常の番組や記事を差し替えてまでの展開はなかった。 ウイルスは姿を変化させて人間に脅威を及ぼす。今後、病原性が高まったり、別のH5N1などが流行したりする可能性が高い。感染症の専門家は「効果の薄い水際対策に躍起になった日本政府のパニックぶりは問題だ。致死率の高い本当の『新型』などの感染症には対応できない」と話す。 早期の発見・治療が重要で、病気にならない健康づくりが重要なのは感染症に限ったことではない。厚労省は感染症外来を整備しているとするが、これは安上がりだが不十分な対策だ。強力に推し進めた医療費抑制政策の影響で、医師や看護師が不足する「医療崩壊」に至った現状では、感染症への対応は困難だ。 新たな感染症の発生は今後も続く。不採算を理由に廃止を進めた公的病院を復活させる必要がある。感染者らを隔離するにしても期間を不必要に長くせず、発生した損害は一定額補償する制度を確立すべきだ。また、今後は予防と早期治療を確実に行い、妊産婦や乳幼児、糖尿病・高血圧などの病気を持つ人の体調管理を徹底すべきだろう。 専門家は「今回の新型は毒性、病原性は低く、感染力は従来型と同程度。伝播性は強い」と見るが、こうした用語を正確に理解する報道は少ない。情報量が多ければ良いというものではない。 過剰反応や無関心を防ぐべく、背景を含めた解説記事を充実させる必要がある。
(運営委員) (JCJ機関紙「ジャーナリスト」2009年5月25日号より) |
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二十一世紀アート世界一周 写真家でもあったアーティスト・マンレイ 畑 泰彦 |
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ここで、「アートとは」という問題になるのだが、表現されている内容そのものが、それを決めるのであり、キャンバスに描かれているからとか絵の具を使うとか石膏とか、ブロンズでできているということとはアートとは無関係なのである。そういう外的なものでなく箱の中や家の中のように人が、もちろん精神がであるが、その中に、はいれる空間を持つもの、しかも「多くの人が共通に、なにかを感じるものがそこに在る」ことであり、写真で言えば「写真であるが、写真でないなにか」を持つものが「その写真がアート」であると言える。 今では写真がアートではないという人は少なくなったと思うがマンレイの若いころの社会では、まだアートの範疇になく、実際マンレイ自身も写真はアートではないと思っていた節がある。「写真は芸術ではない」という写真集をも出している。 そういう意味では写真を使って人々に写真で新しい表現ができるということを示し、アーティストとしてカメラを絵筆に取って代えた最初の人だったのである。 そして1920年代、ヘーゲルの哲学、フロイトの深層心理学、アポリネールの詩法、キリコの画風などのもとに意識下の世界や不合理、非現実の世界を探求し、既成の美学、道徳とは無関係に内的なものを表現する運動―広辞苑より―が文学・音楽・美術の世界で盛んになります。いわゆるシュールレアリズムです。 マンレイ=MANRAY(人・光) ニューヨークで本名エマニュエル・ラドニッキーの一家はユダヤ人居住区を避けて暮らしており、マニーの愛称でよばれていたが差別を受けやすい名前を変えて姓のほうも「レイ」を用いるようになる。14歳で高校入学し、製図、工学、レタリングなどを習っていたが、まもなく美術に熱中。エマニュエルは成績がよく1908年に卒業するとき大学で建築を学ぶための奨学金を約束されていたが、それを辞退して絵画に打ち込む決意をした。 初めに書いたようにマンレイは写真家ではなしに芸術家でありたいと願っていたが、作っていた油絵やオブジェがいつもわずかしか売れず、写真の仕事で生活費を稼がざるを得なかった。今では写真のプリントの性能が高まり100年以上の寿命を持つものがあると聞く。だからプリント写真もアート市場に参加する。アート市場に出回る条件には何年もの間、壊れない、色あせない、ことが一つの必要条件であるから、名だたるアーティストはそういうことにも気を使う。ピカソなどはパピエコレといって今で言うコラージュの方法で写真や新聞、楽譜などを貼付けラフスケッチを作り、それをキャンバス上に油絵の具で再構築していた。いわゆるキュビズム時代のピカソがそうである。 <Man Ray
関連サイト>
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<第32回放送フォーラム開催>
兵士の視点と国家の問題 |
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ゲストは、NHK番組制作局の塩田純氏。南京大虐殺の史実にも踏み込んだNHKスペシャル「日中戦争〜なぜ戦争は拡大したか〜」で、文化庁芸術祭テレビ部門大賞を受賞するなど活躍している。「こういう場で話すのは初めて」という塩田氏は、番組制作の秘話から現代史ドキュメンタリーにかける思いまで、40名を超える参加者を前に語りかけた。 塩田氏はNHKスペシャル「日中戦争」(2006年8月放送)について、「一人の兵士がなぜ人をあやめてしまうのか、という一兵士の視点と、一発の砲弾がなぜあれほど大きな戦争に発展してしまったのかという構造的問題をちゃんと見てみたい」という思いで提案したという。小泉首相の靖国参拝問題が注目されていた当時、歴史認識が争点となっているテーマの番組は難しい状況だったとのこと。 塩田氏と4人のディレクターは、「一次資料で裏付けられない情報は使わない」「これまで取材されたことのない証言者を見つける」ことを確認し調査を進めた。徹底した取材と緻密な編集で、番組は南京大虐殺の史実を描きだし、放送後、視聴者からたくさんの励ましの声が届いたという。 昨年8月に放送されたETV特集「シリーズBC級戦犯(1)韓国・朝鮮人戦犯の悲劇」では、戦後60年を経て、やっと名誉回復を果たし語り始めた元戦犯たちを取材した。離ればなれになっていた元戦犯が再会する場面では、かつて日本兵として動員された老人が突然「君が代」を歌い始めるショットがある。軒先をとぼとぼと歩きながら、当時教え込まれた日本語の歌詞で……。「あるとき突然、封印していた記憶が噴出する瞬間がある。そういう瞬間に出会うすごさをスタッフ一同、体感した。ドキュメンタリーは記憶の掘り起こしであり、だからこそTVで記録する意味がある」。塩田氏は取材テープを初めて観たときの衝撃を振り返り、そう語った。 NHKという大きな組織で番組を通していく難しさと、NHKだからこそ出来るという面と両方あると述べる塩田氏。かつて、政権寄りのスタンスだと指摘されていた海老沢会長や諸星理事がいたころは、「アメリカを批判したりイラク戦争を問題にしたりできない状況だった」という。 それが変わり始めたのは、2005年。政治家の圧力で改変されたETV2001「戦争をどう裁くか 問われる戦時性暴力」の担当デスクが内部告発し、直後、海老沢会長は辞任に追い込まれた。NHK上層部が代わり、やっと作りたい番組を提案できる環境になってきたそうだ。「日本では現代史の史実が神話化されたり、夫婦愛の物語に流されてしまう傾向がある。特に加害者性とアジアの視点を欠いてしまいがちだ。メディアの力が衰退している今日、何が構造的問題でどういう背景があるのかしっかりと描いていきたい」、と締めくくった。 尾崎孝史(放送を語る会会員) (JCJ機関紙「ジャーナリスト」2009年4月25日号より) |
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二十一世紀アート世界一周 「アール・ブリュット、ジャン・デュビュッフェそしてコブラ」 (その2) 中津川 浩章 |
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日本に帰国してイエナという今はなき画集を扱う洋書屋さんで偶然アドルフ・ヴェルフリの画集を見つけ購入した。実はその時点でもA・ヴェルフリが分裂病をもつアーティストだとは知らなかった。今だったら、PCで検索すれば情報がすぐ引き出すことができるのだが、当時はそんなことは不可能で、A・ヴェルフリはしばらくの間は私にとって謎のアーティストだった。
〒111−0053 東京都台東区浅草橋1−7−7 TEL/FAX:+81−3−3865−2211 |
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<スポーツ9条の会> |
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イベント依存と勝ち組の論理 社員の福利厚生を目的とした企業スポーツは、80年代に大きく変わる。企業は冠大会を主催し、マスメディアがそれを中継する、広告宣伝としての企業スポーツが広まる。個人競技でも「陸上部」などの部を廃止し、特定の個人と契約することが一般的になる。人気や業績で、競技者間にも競技間にも格差が生まれ、競技団体もイベントに依存するようになる。 改革の可能性持つ大衆の関心 また大学でも企業でも労務対策としてのスポーツ部が発展してきた風土で、労働組合などと競技者が連携する方向性はなかった。しかし、プロ野球球団の廃止が世論の反発にあい頓挫したように、大衆のスポーツへの関心と情熱はスポーツ改革の可能性を持っていると大野氏は指摘する。 (JCJ機関紙「ジャーナリスト」2009年3月25日号より) |
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<緊急発言> |
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派遣社員が自らの日常を撮影した映画として話題になった「遭難フリーター」。「生きづらい青春を不器用に走ろうとする一人の若者の姿を生々しく描き出す、東京を彷徨いながら綴られた遭難デイズ。それは、いま、一番リアルな青春映画だ」(解説より)。3月下旬の渋谷・ユーロスペースでの一般公開を控え、都内で派遣社員として働いている監督・主演の岩淵弘樹さんに、お話をうかがった。 (インタビュー=吉田悦子) (JCJ機関紙「ジャーナリスト」2009年2月25日号より) |
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二十一世紀アート世界一周 イェッペ・ハイン イメージを捨て外へ出よ 大川 祐 |
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今度は画廊に入った時から存在は気付いていたが何だろうと思っていた台座に乗った鏡面仕上げのステンレス球の作品である。直径が60センチくらいだろうか。マグネットの力でくるくる回っている。覗いて見るとなんだかまた不思議な気分になってきた。 ここまで見てきたようにイェッペ・ハインの彫刻は従来の作家のようにイメージを対象物に表現するという形態を取らず、鑑賞者たちが作品と関わりながら対話し、そこで生まれる現象を鑑賞者が見つけアートを感じ取るというものである。彫刻は在るのに感じ取るものは形ではないのである。それは逆説的に我われがイメージを通して世界を見ていることに似てはいないだろうか。 ■SCAI THE BATHHOUSE |
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<オバマ新政権 アナログ放送延長か> |
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(JCJ機関紙「ジャーナリスト」2009年1月25日号より) |
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二十一世紀アート世界一周 「アール・ブリュット、ジャン・デュビュッフェそしてコブラ」 (その1) 中津川 浩章 |
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デュビュッフェが本格的に画家としてスタートしたのは40代になってからとかなり遅い。それまで何度か画家を志すが途中で挫折している。ワイン商を営む実家の商売を継ぎ、経済的・現実的な状況が絵画制作を継続できなかったということがあるだろうが、私は、彼が表現しようとしたことと、その当時のアートの様式があまりに離れていて、うまく着地点を見出せなかった為ではないかと思う。 P・ゴーギャンやV・ゴッホもそうだが、スタートの遅いアーティストはアートからアートが生まれるという類のアートの純粋培養ではなく、今まで生きてきた自分自身の現実や問題を自身の表現の核とするため、既成の枠に収まりにくい。だからこそ、魅力的でオリジナリティが強いアーティストが多い。美術の専門性では収まりきらない問題意識や現実に即した革命性が高ければ高い程、かたちとして成立することは遅くなるのだ。そしてそのことがそのままデュビュッフェに当てはまる。
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<NHK経営委を視聴者の手に> |
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「政府推薦候補が拒否されたことは我々の運動の成果だ。非常な高揚感をもってこの集会を開くことができる」。主催者を代表して東京大学教授の醍醐聰氏はこのようにあいさつした。 シンポジウムの司会は、ジャーナリストの野中章弘氏。NHK経営委員を二期務めた国立音楽大学名誉教授の小林緑氏は、自身への就任要請について、「総務省のデータベースでヒットして候補に挙げられたらしい」とエピソードを紹介。デジタル放送への移行について、その弊害を話題にしようとしたところ、「デジタル化は既に決定していることですので」と事務方から釘をさされ驚いたとのこと。「経営委員の選ばれる過程を透明に。視聴者からの公募にして草の根の主婦などを含めてはどうか」と提言した。 メディア総合研究所所長の須藤春夫氏は、視聴者の側からの公募制要求や推薦候補を出すなどの運動が「開かれたNHK」にしてゆくために必要だと強調した。先行経験のあるBBCについては、公募制をとってはいるが担当大臣の意向が強く働く仕組みになっており、選考のプロセス・基準を明らかにする必要があることなどが報告された。 元NHKディレクターの戸崎賢二氏は、受信料値下げの圧力に対し制作現場では、「値下げするなら番組経費に回して欲しい」との声が上がるほど、予算が圧縮されている実態を紹介、経営委員には企業経営者ばかりでなくジャーナリストやアーティストが加えられるべきだと提案した。 会場からは兵庫、京都、大阪の市民が活動を報告。地域から出ている経営委員に視聴者の声を届ける、NHKの地方放送局と定期的に懇談会を開催する、などの経験が紹介された。「全国の都道府県に視聴者団体を作ってNHKに働きかけよう」との発言には多くの賛同が寄せられた。集会は、会推薦の経営委員候補・桂敬一氏、湯山哲守氏への賛同署名をいっそう広げることを呼びかけて終了した。会が取り組んだ「NHK経営委員の公募・推薦制と古森重隆氏の不再任を求める申し入れ」署名は一万5千ほどに達した。(尾崎孝史) 桂敬一氏 1935年生まれ。マスコミ研究者。郵政省メディア・ソフト研究会メディア・ルール委員会委員長、テレビ朝日番組審議会委員長。
石井長世 (JCJ機関紙「ジャーナリスト」2008年12月25日号より) |
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二十一世紀アート世界一周 『 ソウルで見た犬』 フランシスベーコンについて 中津川 浩章 |
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■中津川 浩章 Nakatsugawa
Hiroaki HP
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<緊急発言> 地デジ問題 残り8千万台は切り替え困難 |
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(JCJ機関紙「ジャーナリスト」2008年11月号より) |
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大野晃のスポーツコラム 企業依存から脱却せよ |
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16年東京五輪招致委員会は「もうかる五輪」を訴え始めた。企業スポンサー集めがむずかしくなったからだ。女子サッカー1部リーグのTASAKI(田崎真珠)が休部を決めた。休部や解散を決めていた都市対抗野球優勝3回の三菱ふそう川崎や66年の歴史を誇るデュプロが姿を消した。1995年から顕著になった企業スポーツ部の休廃部は10年を経て下火になってきたかに見えたが、再び火勢を強めそうな雲行きである。競技イベントや個人競技者への企業支援も弱まりそうだ。ほぼ全面的に企業に頼る日本のトップスポーツが、長引く不況で新たな危機を迎えている。 文科省はトップスポーツの振興・支援を圧倒的に企業群に依存しながらスポーツ部の休廃部が続出する中で何ら対策を講じてこなかった。企業の社会的責任としてのスポーツ支援を訴えながら具体的な働きかけは皆無だった。スポーツ振興基本計画で「メダル倍増」のはっぱをかけながら沈黙を決めこんでいる。 マスメディアもまた感傷的に企業スポーツ部の衰退を嘆きはするが、真剣に対策を検討する姿勢を欠いていた。抽象的にクラブ化を呼びかけるものの、その現状や山積する社会的課題を提示することはなかった。 日本オリンピック委員会はじめ競技団体は、こぞって企業におんぶにだっこで、競技者の生活基盤に目を向けようとはせず、イベント興行にまい進するばかりだった。そのバブル的手法が完全破たんするピンチにある。 企業の社会的責任やマスメディアの関わりにメスを入れて、国が責任を持ったスポーツ振興策を確立しなければトップ競技者の未来は見えない。スポーツの商業主義利用を牽引したマスメディアの責任が問われる。(スポーツジャーナリスト) (JCJ機関紙「ジャーナリスト」2008年10月25日号より) |
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二十一世紀アート世界一周 「アートができる事」を見事に「してみせた」―イスワント・ハルトノ 畑 泰彦 |
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作品からどっとユーモアの波が私に向かって押し寄せてくる。圧倒的な存在感だ。 <イスワント ハルトノ Iswanto Hartono VOID: 戦争のむなしさ> 第二次世界大戦というテーマは未だ日本人の心の中に身近にあります。それは東アジアや東南アジアの人々にとっても同じです。戦争の終わりは時代の終わりであり、新しい時代の始まりでもありました。第二次世界大戦は個人的にも集団的にも処理しがたいほどの損害とトラウマを生み出しました。そのために、たくさんの事柄がやむを得ず強制的に忘れ去られました。
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「ガンバレニッポンにならないように」 五輪報道、現場の声 スポーツ9条の会が報告会 |
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(JCJ機関紙「ジャーナリスト」2008年9月号より) |
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大野晃のスポーツコラム 総括なき北京五輪報道 |
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(JCJ機関紙「ジャーナリスト」2008年9月号より) |
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二十一世紀アート世界一周 大川 祐 |
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「報道と人権」調整の議論を |
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今の裁判所は人権を規制したり抑圧したりする側に、政府をはじめとする権力に追随してそれを黙認、是認しそれを擁護する、そういう役割が非常に支配的な形になってきている。最高裁の3月の住基ネットの問題についての合憲判決や7月のNHK番組改変事件での判決はその例。しかもそれを新聞社は批判もなく、認めてしまった。裁判員制度も取材や報道の自由について重大な規制を設けようとする法律なのだが……。 斎藤貴男氏‥「週刊現代」に書いた記事を訴えられた。筆者と版元1億円ずつの請求。「731部隊と御手洗冨士夫会長」というタイトルが問題とされた。キヤノンの創業者とされる御手洗毅氏(産婦人科医だった)の指導教官に731部隊関係者がいたという事実関係の争いはない。 (出版部会 大場幸夫) (JCJ機関紙「ジャーナリスト」2008年8月号より) |
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二十一世紀アート世界一周 中津川浩章 |
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これだったら石原都知事のアート行政のひとつ「東京ワンダーサイト」のコンセプトである都内の利便性が高いビルなどにお金をかけず、内装を変えるだけでギャラリーを作り、展覧会を企画していく方向性のほうが現実的だよな、と思う。ただ、その後の運営は四男の疑惑もあり最悪ですが。 そんなことを考えつつデュマスの展覧会場に足を踏み入れた。――そこにはそんな現実的な問題を一瞬のうちに忘れさせてくれるパワーがみなぎっていた。 デュマスの絵画はグラビアや様々なポートレイトなどの写真をモティーフに描いているものが多い、そのため、どこか既視観があるのだが、何かちょっと違う感じ、なんだかに向こう側に突き抜けていくものが感じられるのだ。 しかし、映像などのテクノロジーの発達、第2次世界大戦による様々な価値観の喪失により絵画はその自明性を失った。簡単にいうと絵画は写真の出現により再現性という意味と価値を失い、その絵画が属するアートはアートを支えてきた共同性から生まれる共通の理念、心性やコスモロジーを失った。いわば絵画は2重に失われたメディアだということになる。それは現代社会がある意味で歴史を失い、個人の内面をも失ったということと重なっている。 しかしデュマスに代表される現代アーティストはその自然な関係が失われた場所から、もう一度社会とアートの関係を構築しようとしている。 この作品は20世紀初頭以降のアフリカの様子を伝える絵はがきの写真集をベースに描かれている。デュマスは語る*1。 その舌ざわりのよさそうなキャッチコピーがついている広告写真がそのコピーの内容と正反対のメッセージを含んでいることはよくあることだ。 元の写真をなぞったかのようなディフォルメと言えないほど慎ましやかな変形、その小さい変形が微妙さ差異と違和感を見る側に与える。水彩画とインクのドローイングは筆のタッチも感覚的でアバウトに動き拡がりとエロティシズムを感じるほどだ。 つまり、誰が見ても記号的に、あるいはそのディフォルメが、わかりやすい形で表象されているわけではなく、非常に繊細で絵画的は表現によってその違和感や差異性が表象されているのだ。 そしてそれらの表現は思考されたものというより、巫女のようなインスピレーションによって無意識の領域から生まれてきている気がする。だからこそ、様々なメディアの中で生きている私達にも感覚を通じてはっきりと、現代性とは何かを手渡してくれているのだ。 *1:本文中のM・デュマスの発言はカタログ 「ブロークンホワイト」 /マルレーネ・デュマスへのインタビュー/聞き手=長谷川裕子氏、から。
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大野 晃の スポーツコラム 国策強化で介入狙う |
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(JCJ機関紙「ジャーナリスト」2008年6月号より) |
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大野 晃のスポーツコラム 大震災と北京五輪 |
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(2008年5月 JCJ機関紙「ジャーナリスト」より) |
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人と仕事 経済記者 山田厚史さん 安倍元首相の事務所にテレビでの発言を訴えられた経済記者の山田厚史さん。「言いがかり」に類する訴訟は安倍サイドが取り下げて決着した。 聞き手 保坂義久 |
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――経済部記者は最初からの希望ですか。 (2008年5月JCJ機関紙「ジャーナリスト」より) |