■ ジャーナリストとして生きる〈証言でつづるJCJ50年の歩み 1955–2005〉、デジタル版で復刻・機関紙で紹介
■JCJ50周年記念書籍 デジタル版として復刻 〈89人執筆、多彩な個性と視点〉
JCJは2005年に創立50周年記念として『ジャーナリストとして生きる=証言でつづるJCJ50年の歩み・1955~2005=』を発行し、当時の会員に配布した。
JCJ会員、協力者、JCJ賞受賞者などにメールやFAXなどで寄稿を依頼した。既に故人となっていた方々からは過去に発表された文章を選び、88人による91の文章が集まった。
それから18年、この本がデジタル版として復刻され、10月20日からJCJホームページで閲覧できることとなった。
91人が語った50年の歴史はそれぞれの個性と視点が実に多様で、年史とは違ったJCJの歴史と来し方が生き生きと目に浮かぶように感じられ、たまに確認などのためにちょっとページを開くと、年末大掃除の時に畳の下に敷かれた新聞を読んでしまうように、次々とページをめくってしまう。
●先輩の導き
そうか、そうだったのか、へぇーと思いながら、その普遍性と奥の深さにしばし立ち止まる。
昔の方々の言葉は、その後を歩く私たちの道標であることに間違いない、これがJCJなのだと読むたびに思う。
いまその3分の1近い方々が鬼籍に入られた。創立から70年近く経とうとしている今、本来な安定した平和の時代であるはずではなかったか。
私の編集後記にはこう書かれている。「今、大きく変化する社会の変化にJCJは追いついていない。JCJの行く末が見えないと感じ、そんな時はやはり来し方を確認することだと思った。進むべき道は見えているのに立ちふさがる川の大きさ、山稜の険しさに戸惑っている。戦後の新しい局面を先輩方は、職場で街で多くの人々を巻き込んで創意と工夫で戦ってきた。来し方の戦いからヒントと力をいただいて、先輩にもあとひと踏ん張りしてもらって、JCJここにありと叫ぼう」。
●HPで閲覧可能
いままた私は同じことを思う。特にこの数年の日本の軍事化の動きはどうだ。米軍基地は相変わらずなくなっても減ってもいない。それどころか南西諸島の、いわゆる琉球弧と呼ばれる島々にはいままでなかった自衛隊基地が建てられ、島民の反対も不安も要望も無視して粛々と拡大されている有り様だ。メディアは社会の番犬として、あるいは火の見櫓としての役割を果たしているか。「再び戦争のために、ペン、カメラ、マイクを持たない」をスローガンとするJCJは、JCJとしての力を発揮しているだろうか。
つい力が入ってしまった。再びか三度か、たちふさがる川の大きさと山稜の険しさにともすれば弱気になりそうな私たちを、先輩のみなさん、また導いてください。
という思いを籠めて復刻版をお届けします。是非JCJのホームページをご覧ください。 川田マリ子
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