戦後の民主化

1945年の敗戦直後、日本のジャーナリストたちは戦争責任への痛烈な反省のもとに、民主化運動に立ち上がった。経営・編集幹部の責任を追及し、労働組合を結成して社内の民主化をはかった。新聞では56社中44社で社長や重役が更迭された。「国民とともに起たん」と題する朝日新聞声明は戦後ジャーナリズムの方向性を示した。
 民主化の動きは1950年の朝鮮戦争を機に押しつぶされた。米国の占領政策が変化し、ソ連(当時)や中国などに対する軍事基地として日本を位置付ける方向に急展開した。マスコミ界でも民主化を求める人々が解雇・配転された。


議長に『世界』編集長・吉野源三郎氏

「再び戦争のためにペン、カメラ、マイクを取らない」という戦後日本ジャーナリズムの精神はしかし消滅しなかった。労働組合とは性質を異にするジャーナリストの職能組織として1955年2月19日、日本ジャーナリスト会議(JCJ)が創立された。短命に終わった「ジャーナリスト連盟」や「知識人の会」「プレスの会」といった小規模の運動がその母体の役割を果たした。
 岩波書店の雑誌『世界』の編集長・吉野源三郎氏を議長に、JCJは発足8ヶ月で主要メディアを網羅する会員1200人の組織になった。
55年12月にはタブロイド判4頁の機関紙「ジャーナリスト」第1号を発行。JCJ賞を58年に創立した。

1955年2月19日に開かれた日本ジャーナリスト会議創立大会(東洋経済新報社)を報じる「月報」創刊号(1955.3.20)。

日本ジャーナリスト会議 月報 1955年3月20日 創刊号
            盛大な創立大会---大会の経過 一九五五・三・三〇 

『日本ジャーナリスト会議』創立大会は、二月十九日午後五時半から東洋経済新報社三階の経済クラブにおいて開かれた。会議は、二百名に達する出席者をえて盛大熱心に進められたが、まず、常任世話人本田良介氏の司会により、共同通信社会部長斉藤正駒氏を当日の議長に、朝日新聞客員(死論説委員)野村宜氏を副長に選出し、常任世話人代表吉野源三郎氏の挨拶から始められた。吉野氏は、IOSの呼びかけによる国内におけるジャーナリスト国際派遣準備会の成立、その運動の経過を報告し、これがやがて「日本ジャーナリスト会議」設立の準備へ進み、いまや一切の懸念を乗越えて『今日、多くの困難がありながら、このような組織ができなければならない客観的な条件が生れ、世界の緊迫や平和の擁護というようなものと一緒に、日本の中においても今度こそ、前の戦争に至る過程で日本のジャナリスト全部が経験したあのような醜態を重ねないような強い組織をもちたいという熱意が高まっている』と強調した。
 つづいて、来賓の挨拶があり、再び常任世話人であると共にジャ1ナリスト世界大集会の日本委員である小林雄一氏から世界大集会の準備について報告が行われたが小林氏は、さらに、平和を護るすべての力が今こそ結集されねばならない時であるとのべ、そのためには「一人ではできないことを皆の力で助けあい、励しあって行く」ことが必要であり、ジャーナリストの組織を新たにつくる主眼
そこにあるのではないだろうか」、したがってまた、新しい組織は「中央がお膳立てして引っぱって行くのではなく、一人一人が隣近所と話しあい、皆が関心をるら、興味をもつことをやって行くそれが中央でまとめられ、友好な他団体と協力しながら、われわれの目的や任務を果して行く」ことが、その運営の趣旨であると説明した。
 大会はさらに会計報告を事務局からきき、本田良介氏の規約草案說明後審議に入ったが、朝日新聞奥田教久氏はか二十四名から規約草案に対する修正案が提出され、これをめぐって活発な討議がかわされた。修正案の要旨は、@総会は実際問題として全会員が出席することは不可能である。したがって、総会が「会議」の意志を決定することには疑義がある、その意味でも、重要問題については会員がそれぞれ意志の表示を行う機会をつくるため全員投票の制度を採用することが望ましいという二点であった。これに対して種々意見が出されたが、結局、早急に規約審議委員会を設け、草案の未熟な点を検討することとなり、当面の新組織成立のため、とりあえず修正案の全員投票制を規約草案に取入れ、これを採択した。最後に役員の選出にうつり、議長に吉野源三郎氏、副議長に神吉晴夫、小林雄一の両氏を選び幹事に、斉藤正卵、野村宜、美作太郎、本田良介、畑中政春の五氏を推し、幹事会は、この議長、副議長、幹事のほか、支部その他からの幹事を加えて構成することとなった。ここに「日本ジャーナリスト会議」は、約一年の準備期間と多くの人人の努力によって成立したが、五時間にわたる創立大会を終えるに当って、吉野新議長は、次のような挨拶をのべた。

●吉野議長の挨拶

 私はこれまでジャーナリストの会をつくって、それが果して恒常的に力強いものとして育って行くかどうかについては、準備委員の中でも極めて消極的な見解を持っておりました。かって、私自身、知識人の会の組織にも参加いたしましたし、ジャーナリスト連盟の組織にも携わりました。また、その他漠然とした形の多くの民主的な会に属してまいりましたが、これまでの経験から申しますと、大体において所期の目的を果さないうちにやせ細ってしまったというのが数多い例であります。



Since 1955

2005年、創立50周年を記念し、記念式典を開いたほか、会員を中心に、JCJ賞受賞者、支援者など91人の寄稿(遺稿含む)を得て、冊子『ジャーナリストとして生きる――証言でつづるJCJ50年の歩み』を発行した。

2016年、創立60周年を記念し、JCJ60年史編纂委員会での議論を経て「JCJ賞受賞作で読み解く 真のジャーナリズムとは。」を発刊。通史的年表をも巻末にまとめた。

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 JCJ創立60周年記念シンポで講演する4人の講師。左から、TBSの金平茂紀さん、
東京新聞の金井辰樹さん、弁護士の大江京子さん、SEALDsの元山仁士郎さん
(2015年11月29日、東京・千代田区のエデュカス東京で=酒井憲太郎撮影)