■ヒロシマの空白 中国新聞とプレスコード

 JCJ広島支部の会員で中国新聞客員特別編集委員の籔井和夫(やぶい・かずお)さんが、中国新聞に掲載していた企画「空白のヒロシマ 中国新聞とプレスコード」が先月、完結しました。原爆投下により爆心に近かった中国新聞社は百人を超える社員の犠牲者を出しています。
 原爆炸裂による被害の甚大さをとらえた報道は、日本の敗戦を機に始まったが「原子爆弾の使用や、無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒瓦斯以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであらう」との、鳩山一郎の談話が9月19日朝日新聞載ると、GHQは48時間の発行停止を命じ、19、20日付は休刊。さらにGHQは19日、「凡ゆる新聞紙の報道、論説、広告及び総ての出版物に適用する」プレスコードを発した。メディア規制は厳重化され、「原爆報道」は封印されていった。



■籔井和夫さんからJCJ会員へのコメント
 占領期のGHQによる検閲によって、原爆報道について制約が加えられたことは知られていますが、実際に、どの記事がどのような理由によって「プレスコード違反」とされたのか、具体的な事実についてはあまり知られていませんでした。これは被爆地である中国新聞についてもそうでした。
 それを検証するために、占領期の資料を所蔵している米メリーランド大学・プランゲ文庫の資料(国立国会図書館が1990年代にマイクロ化して公開)やGHQ関連資料を3万件近く当たって、「プレスコード違反」とされた原爆関連記事を探しました。他紙の検閲に関する資料も途中で調査に加えまして、連載はその結果の報告です。
 私が見つけることができたのは、中国新聞の原爆関連記事では1本、中国新聞の関連会社が発行していた夕刊ひろしまで1本、長崎新聞で1本、西日本新聞で3本、全国紙・通信社などで21本でした。
 原爆関連記事に関するこのような調査は多分初めてだと思います。
 地味な調査報道ではありますが、検閲はジャーナリズムにとって重要なテーマであることは言うまでもありません。私が客員編集委員として1人で取り組んだ企画ですので、解釈の間違いや考え違いをしていたり、調査不足の面があったりするのではないかとも考えております。少しでも多くの人に読んでいただき、批判的検討もまた加えていただければそれを踏まえてさらに調査を深めていくつもりです。

※中国新聞社・ヒロシマ平和メディアセンターに収録される「ヒロシマの空白 中国新聞とプレスコード」へのアクセスは以下のとおりです(項目をクリックする)

[ヒロシマの空白 中国新聞とプレスコード] 原爆記事 検閲対象に キーワード別 「原爆」が最多/23年9月19日

■ヒロシマの空白 中国新聞とプレスコード 第1部 

 ・原爆記事への監視 <1> 「唯一」の違反/23年9月20日

 ・原爆記事への監視 <2> スロースタート/23年9月21日

 ・原爆記事への監視 <3> 検閲の手引書/23年9月22日

 ・原爆記事への監視 <4> 朝日新聞の発行停止/23年9月23日

 ・原爆記事への監視 <5> 隠したかった人体影響/23年9月26日

 ・原爆記事への監視 <6> 3人の米国人/23年9月27日

 ・原爆記事への監視 <7> 峠三吉の懸賞論文/23年9月28日

 ・原爆記事への監視 <8> 平和都市法とGHQ/23年9月29日

 ・原爆記事への監視 <9> 「投下」批判への対応/23年9月30日

 ・原爆記事への監視 <10> 読売新聞の「ボツ」記事/23年10月4日

 ・原爆記事への監視 <11> 「あの日」の写真 初掲載/23年10月5日

 ・原爆記事への監視 <12> 原子爆弾製造禁止の宣言/23年10月6日


■ヒロシマの空白 中国新聞とプレスコード 第2部 

 ・資料から読み解く <1> 軍国主義宣伝を排除

 ・資料から読み解く <2> 「検閲」報道はタブー/24年7月3日

 ・資料から読み解く <3> 封じられた読者の心情

 ・資料から読み解く <4> 社説標的 テーマ幅広く/24年7月6日

 ・資料から読み解く <5> 矛盾透ける労働争議監視/24年7月9日

 ・資料から読み解く <6> 雑誌・書籍チェック 厳格に/24年7月10日

 
■ヒロシマの空白 中国新聞とプレスコード 第3部 

 ・他紙の原爆記事 <上> 長崎 /24年9月5日

 ・他紙の原爆記事 <中> 西日本/24年9月6日

 ・他紙の原爆記事 <下> 全国紙・通信社/24年9月7日


■ヒロシマの空白 中国新聞とプレスコード

 ・連載を終えて <上> 検閲を恐れ報道が萎縮/24年9月10日

 ・連載を終えて <下> 検閲資料 日本で保存を/24年9月11日