〈JCJ声明〉「平和」を守り続けるために 戦後80年からのスタート
暑い夏。80年前のきょう、長崎に、広島に続き2発目の原子爆弾が投下された。戦争で核兵器が使われ市民が犠牲になったのは世界の歴史上、この2回だけである。こうした惨禍のもとスタートした日本の戦後は、基本的人権の尊重、国民主権、戦争の放棄を柱にした「日本国憲法」を支えに復興の道を歩み続けた。
日本だけでなくアジアの人々の多くの命を奪った反省をふまえ「平和主義」を掲げてきたその歩みが大きく転換したのは、10年前の2015年。当時の自公政府は「集団的自衛権」を認めた安保関連法を成立させ、続く2022年には安保関連3文書を閣議決定し「敵基地攻撃能力」の保持と軍事費の増額を決めた。アメリカの「台湾有事」戦略に便乗するように、沖縄では米軍の辺野古新基地建設だけでなく、自衛隊のミサイル基地や施設が次々に整備されている。戦後80年の日本は平和をより強固にするのではなく、逆に「いつでも戦争のできる国」へと変質し続けている。
そして7月の参議院選挙では、「日本人ファースト」を掲げる政党が躍進し、欧州などで広がる右派ポピュリズムの波が打ち寄せている。戦後80年の節目は、寛容さや多様性を尊重する社会をこれからも築いていかれるかの岐路に立たされている。
一方、ジャーナリズムは、その使命ともいえる「権力の監視」をきちんと行っているだろうか。権力を絶えずチェックし、民主主義が機能しているかどうかを知らせる「炭鉱のカナリヤ」の役割をはたしているだろうか。 依然として権力に忖度する自主規制が覆い、本来の役割を失っているのではないか。
日本ジャーナリスト会議(JCJ)は、戦時中ジャーナリズムが政府や軍部に抗うことなく戦争へ加担したことから「再び戦争のために、ペン、カメラ、マイクをとらない」との決意のもと戦後10年に発足した。
戦後80年の状況はさまざまな面で厳しいが、JCJは、いまこそこの原点に立ち戻りたい。戦争へ向かう動きを食い止め平和を守り続け、一人ひとりが尊重される社会を築いていくために、ジャーナリストと市民が共に手を携えて、戦後80年からの新しい一歩を踏み出していく。
2025年8月9日
日本ジャーナリスト会議(JCJ)