〈JCJ Online講演会〉「原発事故後の福島を撮り続けて10年」講師:フォトジャーナリスト・山本宗補さん

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■開催趣旨:
東日本大震災と原発事故から11年目に入った原発事故被災地。
深刻な放射能拡散のため、我が家にも故郷にも戻って生活再建できない被災者は4万人余。
帰還困難区域内の見せかけの「復興」。
歳月とともに忘れ去られる被災者。
生活再建途上の被災者を省みない五輪報道。フォトジャーナリストの山本宗補さんは、原発事故直後から10年に渡り、福島の被災者を撮り続ける。
失われた多くの命に対する慰霊と鎮魂、国策に翻弄されてもなお地元に留まる人々の姿など。
今回は山本さんが撮影した現地の写真を見ながら10年追って見えてきた「復興」とかけ離れた現場と広義の「棄民」などを考える機会にしたい。(2021.7.11)

■開催後記:
事故後10年、避難指示区域の7町村の住民7万人のうち戻れたのは1万人弱。大熊町では特定復興再生拠点の地区だけが除染されて30億円かけた町役場の新庁舎が建設、見せかけの町残しだ。双葉町では復興予算53億円で原子力災害伝承館が建ったが墓石は倒れたまま。浪江町も日中からサルの群れが往来、一時帰宅に同行すると家の中は動物に荒らされ放題。どの町も復興には程遠く、国による棄民が繰り返されていると山本さんは語気を強めた。

■講演者プロフィール:
山本 宗補(やまもと むねすけ)。1953年長野県生まれ。フォトジャーナリスト。85年からフィリピン、88年からビルマ( ミャンマー)軍事政権下の少数民族や民主化闘争を取材。日本国内では「老い」と「戦争の記憶」のテーマで取材。
「3・11」の翌日12日から福島県に入り、原発周辺での放射能汚染の実態を伝え、原発事故と大津波被災地に通い続 ける。  
  

山本宗補さん
戦後はまだ… 刻まれた加害と被害の記憶
戦後はまだ… 刻まれた加害と被害の記憶

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