〈JCJ声明〉原発事故を風化させてはならない—東日本大震災から 10 年、JCJ声明
2月13日、福島県を中心に広く関東を覆うM7・3の地震が起きました。東京でも震度4を記録、気象庁は「大震災の余震とみられる」と発表、多くの人々がかつての東日本大震災の記憶を蘇らせました。メディアは「福島第一、第二原発に異常はない」と東電の発表を伝えましたが、実は10年前の震災で壊れ、 水が漏れ続けている第1原発1、3号機で水位に変化がありました。メルトダウンした格納容器底部の燃料デブリを冷却するため毎時3トンの水を注入し、1 号機では底部から1・9メートル、3号機では6・3メートルに保たれていた水位が、1号機では 40~70センチ、3号機では 30センチ低下していることがわかったのです。
以前からの配管などに損傷個所が拡大した可能性もあります。また、設置してある地震計が二つとも壊れていて、揺れの程度はわからなかったともいいま す。この緊張感の無さはなんなのでしょうか。
福島原発はこの10年間、事故収束のために廃炉作業が続けられていますが、 2031年に完了する予定の燃料デブリの取り出しのめどは立っていません。 国は増え続ける汚染水の海洋放出すら計画しています。
10 年前の3月11日、大震災が東日本を襲って以来、原発をなくすことは、多 くの国民の一致した要求になったはずでした。ドイツがいち早く 22年までに国内17基の原発を全て停止することを決め、イタリアでも原発再開計画が凍結、 スイスでも 34 年までに原発全廃の方針が決まるなど、脱原発の傾向は世界中に 広がっています。
日本政府も12年9月、野田佳彦政権が「2030年代に原発稼働ゼロ」を盛り込んだ「エネルギー・環境戦略」を閣議決定しようとしましたが、果たせなかった経緯があります。代わった安倍政権は「世界一の安全基準」を掲げ、原発輸出に血道を上げましたが、ベトナム、台湾、リトアニア、トルコ、英国などでことごとく失敗していることも、こうした世界の流れに背を向けた結果です。
財界はこうした中で、「原発のリプレース(建て替え)・新増設が必須だ」(中西宏明経団連会長)とし、今年2月には 40年を超える関西電力・高浜原発1、 2号機の再稼働 について、町に同意させるなど、原発推進を続けようとしてい ます。
一方、福島の現場では、原発事故による政府の避難指示は、昨年3月までに全
11 市町村で解除されましたが、除染も不十分、インフラ整備も進まない状況で 帰還率は上がっていません。17年に避難指示が一部解除された浪江町の居住率は現在 9・1%、富岡町は 12・6%にとどまるなど低く、人口も減少しています。放射能や医療体制への不安に加え、仕事がなかったり、生活用品の購入が 不便だったりで「帰りたくても帰れない」状況が続いています。
汚染水の状況など、現状は放置されたままなのに「アンダー・コントロール」 とウソを言って誘致した東京五輪は、昨年1年間延期しましたが、依然コロナ 渦は解消しないなかで、3月25日には南相馬市から聖火リレーが始まります。 「本当にできるのか」と不安視する人が多い中で、菅義偉・自公政権は「コロ ナに勝った証拠にしたい」と意気込んでいます。しかし世論調査では、1月の NHK、共同通信の調査では「中止すべき」と「さらに延期すべき」をあわせ ると約 80 %、2月の読売調査でも計 61 %で、大きく延期か中止に傾いています。 五輪、パラリンピックとともに、不十分な「復興」を、自らの政権高揚に利用 しようという意図は許すわけにいきません。
原発事故で避難した人たちなどが国に賠償を求めた千葉の集団訴訟で、2月19 日東京高裁は、東電だけでなく国の責任を認める判決を言い渡しました。被害者による訴訟は全国で約 30 件争われていますが、高裁判決は3件目で、国の 責任を認める判決も去年9月の仙台高裁に次いで2件目です。
判決は「元の居住地へ帰るために暫定的な生活を続けるか、帰るのを断念す るかといった、意思決定をしなければいけない状況に置かれること自体が精神 的な損害だ」とし、避難生活に対する慰謝料とともに、生活の基盤が大きく変 わったことについても賠償すべきだという判断を示しています。国はこの際、 その訴えをまともに受け止め、十分な生活補償をするべきです。
日本ジャーナリスト会議は原発事故の直後から、連続講演会、全国交流集会、 研究者・法律家と連携して開く「『原発と人権』全国研究・市民交流集会 in ふくしま」などを通じて、問題を考えてきました。
10年を迎えた原発事故を前に、私たちは改めてジャーナリズムの役割を考え たいと思います。この間、原発事故に直面し、日本のメディアは政府や東電の 発表、地域の人々の生活をはじめ、さまざまな報道を繰り広げてきました。報 道は多くの人たちの力となり、埋もれた要求を見つけ、広げるのに役立ってき ました。しかし、どうでしょう。年が経つにつれて、報道は現実に流され、本 来あるべき問題提起や、原発そのものの是非、今後のエネルギーと社会の在り 方などを問う取材・報道が十分だったと言えるでしょうか。
いま、菅義偉政権のもとで、「脱炭素」が言われるなかで、密かに原発の復権がもくろまれ、かつて否定されたはずの「安全神話」が姿を変えて登場してき ています。
現地には問題指摘を欠いた伝承館や廃炉資料館がつくられ、新たな宣伝では ないか、との批判も出ています。「非常事態宣言」は出しっ放しにされたまま日 常化し、除染しないままの土地が残され、一方で新たな資本投資を狙った「福 島イノベーション構想」が推進され、「これが住民の生活により添う復興か」と 問われています。 しかも、放射性廃棄物の最終処分場の問題で北海道では地域 が大きく揺れ動いています。こうした問題について科学的で、かつ住民の意見 を尊重した報道が期待されています。
福島原発事故 10 年にあたり、事故を風化させないために、日本ジャーナリス ト会議は問題を発掘し、提言し、ジャーナリストや市民の方々と協力しながら 「原発ゼロ」へ向けて歩む決意です。
2021年3月10 日
日本ジャーナリスト会議