■メディアの相変異に対しジャーナリズムのあり方熱く(「原発と人権」全国研究・市民交流集会 in ふくしま 分科会)

■メディアの相変異に対しジャーナリズムのあり方熱く(第6回「原発と人権」全国研究・市民交流集会 in ふくしま 第5分科会 メディア・ジャーナリズム分科会報告 JCJ運営委員:山中賢司) 

  丸山重威氏がコーディネーターをつとめる第5分科会は午前、氏を含む4名のパネラーからの基調報告を受け、午後はそれらへの質疑に加えて多くの意見が提出され、活発な議論となった。それら発言はこの間、旧来メディアは期待される社会的役割を果たしてきたと言えるのか、不十分であったとすれば、どんな作用がそこに働いていたのか…その存在理由に関する問を含んだ。また、メディアが取り扱わなかった問題、深耕させるべきテーマへの取材要請も出された。
 とりわけ耳目をそばだてたのは、県が行政施策として主導した「オールメディアによる漁業の魅力発信」風評払拭キャンペーンに飲み込まれるメディアへの問いだった。福島民報、福島テレビを含む在福8メディアが県と歩調を合わせ広告枠に留まらない協力関係を築いた。さかのぼれば人気グループTOKIOを起用してのテレビCM投下がなされたのは2012年夏。県と県内メディアは「ふくしま農林水産物安全・安心メディア発信研究会」なる組織を作り、風評対策PR諸策が議論され、公金がメディア界隈に向かった。県の農水、観光への計り知れない否定的印象払拭に経産フレームでメディアは組み込まれたのである。こうしたメディアの立ち回りは福島県民のみならず、広く国民の間に警戒感を共有させ、メディア内部を含む民意分断が進んだと言える。事故で明らかになったわが国原発政策破綻へのジャーナリズム的批判を弱含ませる効果も狙われたことは容易に想像つくからだ。
 ここには他の自然災害復興とは性格を異にする原発事故からの立ち直りの難しさが見える。脱原発に舵を切ったドイツは福島を見て、通常プラント事故の延長上にない原発事故被害の算出不可能性を悟ったとされる。
 3・11時期以後、メディア経営は経済の長期停滞と情報産業全体のインターネットシフトで厳しい状況に晒されてきた。畢竟、政府や行政の広報予算に強く依存する体質を加速させてきた。"復興の姿を世界に発信〟の東京オリンピック、その後の新型コロナ対策も巨額の広報予算が組まれ、災害局面に限らず政財界が繰り出す民主主義的言論を封殺してのショックドクトリン策にメディア、情報産業系が組み込まれる図は繰り返し国民の前に明らかになってきた。
 以下、4名のパネラーによる報告を要約する。


1. 「原発60年と原発をめぐる議論問題提起に代えて」
 丸山重威(コーディネーター、JCJ運営委員)この集会は6回を数えるが、リアルで行われるのは5回目となる。地元福島の関係者の方々、福島大学に感謝申し上げたい。「原発と人権集会」は原発事故責任の所在やその解決について議論が重ねてきたが、当分科会はメディア、ジャーナリズムの対応と問題点に焦点を当ててきた。第一回では福一事故で終わりを告げた『安全神話』を総括。メディアが政財官学に連担してきた経緯を反省した。しかし、昨日の全体会では12年が経過するも、その構造は変わらず、いよいよ猶与ならぬ段階を迎えているとの指摘が相次いだ。
 福一事故は文明史的転換を含む脱原発への契機性を持つのだが、さらなる新設や運転期間延長、見通しの立たない処理水放出に至り、国民的合意もなく無軌道な暴走が進むと指摘した上で、原発回帰に舵が切られる今、求められるメディア、ジャーナリズムについて様々な議論が深まることを期待すると結んだ。

2.「福島通いがやめられないワケ」 山川剛史(東京新聞編集局委員)
 個人史的に福一事故発生は「人生観が完全にひっくり返った衝撃」だったと述懐し、東京新聞の福一原発事故取材班を率いた12年を振り返った。取材対象に深く切り込んできた当事者だからこそ直面する問題…踏み込む程に、国・事業者の隠蔽体質とのたたかいが強いられたことに併せ、その可視化、伝え方に心を砕いて来たことを語った。その後の汚染状況、立地地域住民の暮らし、事故収束作業、廃炉工程など今後も引き続き見届ける必要があり、福一事故は新たな問題を浮上させ進行する生きた事案であるとの見解も示した。その一つひとつが再発防止への防塁を築く、と。YouTubeを使って山川氏自身が出演の動画解説も130本を超える。
 「みなさんに考えて欲しい素材がある」とスクリーンに映し出したのは東京新聞が2022年10月に報じた「東電、トリチウムを検知できない線量計で処理水の安全性を誇張」の記事。東電がALPS処理水の安全性に関し虚偽の実演を視察ツアー参加者の目前で行なっていたことを暴露したもので、寄せられた反響と波紋を紹介。政府や原発事業者がさまざまに発信、誘導する情報環境に対抗するジャーナリスティックな構えの必要性を説いた。


3. 「権力としての裁判所を監視する」 磯村健太郎(ジャーナリスト、元朝日新聞記者)
 「原発事故の一端は司法にもあるはずだ」との思いから『原発に挑んだ裁判官』(朝日新聞出版)を著したと切り出した。原発訴訟に関わった十数人の裁判官へのインタビューを通して見えてきたことや、奥の院である最高裁の裏舞台を明らかにした。原発訴訟には、原発建設の停止を求めるもの、稼働停止を訴えるもの、被災者が国や電力会社に責任を問うものなどがあるが、人々のたたかいを考える上で“裁判所は市民の最後の砦であり、裁判所の審理が厳格になされれば原発事故は未然に防げるかもしれないと語った。
 原発訴訟に取り組む現役裁判官への取材は難しいが、元裁判官への取材を通して得られた知見は市民社会の共有知となるものだと指摘。地裁、高裁の判断に大きな影響を与える最高裁の判決文に「危険性は社会通念上無視し得る程度」などと、裁判官個人の感覚が「社会通念(観念)」として判断の根拠となることもあると言及。「これは困った時の裁判所のマジックワード」と述べ、司法に潜む危うさが共有された。また、メディア人の課題として司法の監視と併せ、情報公開制度活用の重要性を強調。若い記者たちへの期待を滲ませ報告を締めくくった。


4.「肌で感じた原発の脅威」 松尾曉(元福島民友新聞)
 冒頭、1982年ニューヨーク国連本部で開かれた軍縮特別総会に参加した経験談は3・11福一事故以前の空気をあらためて伝えた。レーガンが「強いアメリカ」をスローガンに軍拡を推進した時期。同じ核でも原発は意識の外に置かれ、安全神話に覆われていた、と。1986年にチェルノブイリ事故が起こるも、関心は社会体制のそれに向かい原発本源への議論には至らなかった。福島では1973年の福一1号機に始まり、1987年までに合計10基が稼働。地元メディアにとって東電は大スポンサーであり、東電に対する批判や問題提起は出来難い状況を作ってきたと話す。
 3・11の際は家に居て強い揺れを感じて外に飛び出し、飼い猫もしばらく行方不明になった、と。停電でテレビが点かず、新聞は遅配・欠配が相次ぎ、一番の拠り所は携帯ラジオになったと大災害下のメディア状況を振り返った。
 個人的には、国や東電から発せられる情報が戦前の大本営発表のようにたれ流されてはいないかとの思いがある。原発は危険であるからこそ、沿岸部に立地され内陸部には一基もない。そこにはいざとなれば、不都合なものは海に流せるという考えが最初からあったのではないか、と。それに抗するにはメディア関係者が広く連携し、壁を超えて問題を共有していく姿勢が大事であり原発政策への提言報道や国の政策を変える選挙報道も期待されると結んだ。

          「法と民主主義」2023年11月号(日本民主法律家協会)同誌編集部の許諾を得て転載